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8月, 2025の投稿を表示しています

カトリーナ

2週目終了〜。初めましてのクラスメイトの中で気疲れしていたのが、顔見知りが増えてきたせいか、今日ようやく慣れてきた感じがした。授業も、今後のテストへの心配はあれど、なんとなく形式が分かってきて落ち着いてきた。さて、今日の授業で先生が小話していたのが、ハリケーン カトリーナのお話。ちょうど20年前、アメリカ南部を襲った大型ハリケーン。ここニューオーリンズではおよそ1,000人が亡くなり、大多数が避難を余儀なくされた。地元の人は、このハリケーン前後でまるで人生が変わった、なんて話す人が多い。今年で20年が経つので、この惨事を忘れないようにと、大学でも掲示スペースに写真が貼られるなどして取り上げられている。当時、キャンパスでも大勢が、階数が高く浸水を避けられる研究棟へと避難したらしい。先生は避難から帰ってきた際にその研究棟に最初に足を踏み入れた人の1人らしく、ごみの種類がスナックとお酒ばかりだった、とか、ペットはヘリコプターでの避難をさせてもらえなかったから建物に残されていて、帰ってきた時にまだ生き残っていたモルモットを引き取って、そいつはその後かなり長生きしたんだ、僕はそいつのヒーローなんだ、などとなかなかシビアな話をユーモアを交えて話してくれた。笑い混じりに聞いていたが、最後に授業に戻る前にぽそっと、一番きつかったのは臭いだった、20年経った今でもその臭いが脳内に住み着いている (It lives in my head)、と呟いてその小話が終わった。カトリーナの話を聞いて、浸水や建物被害、別の州への避難、ということばかりを想像していたのだけれど、確かに、日本ほど衛生観念がしっかりしていないこの国で、大人数が鮨詰めになって、かなりの臭い被害があっただろう。想像もしなかったが、言われてみるとものすごく鮮明に予想できる。そして、生死に関わらなくとも、かなり厳しいだろうことも。ウィキペディアの文字面でしか理解していなかった災害被害の生々しさの一端に触れた一コマだった。

新学期

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  2度目のPhD。新学期がスタートした。正直、ミネソタの頃ほどフレッシュな感情は無い。今度こそ卒業したいと切に願うのみ。でも、2回経験している分、比較するのが面白い。ミネソタは1ヶ所のキャンパスに行くだけだったが、今回は2ヶ所のキャンパスを行き来してオリエンテーションを受けたので、なかなか大変だったけど、新しく知る土地が多かった。そして、授業形式もかなり異なる。ミネソタ大学では、研究者として必要な心得を指導する傾向が強く、論文ベースの授業で、毎回宿題として大量の論文を読み、プレゼン準備をしていた覚えがあるが、今いるテュレーン大学では、大学生だった頃のような、教科書の知識を学ぶ形式で、宿題は無いものの試験が頻繁にあり、毎回の授業の復習が必須な感じ。昔学んだことだから簡単だろうなんて思っていたが、意外とやばい。今はアミノ酸20種の構造を暗記している。昔やったのに全然覚えていなかった。そして、ラボローテーション。初回サポートが充実していたミネソタに比べて、テュレーンでは個々人が各々見つけておいでって感じで放り出されているから焦る。今のところ、最初のローテーションは去年から働いているラボでそのまま続ける予定だから良いものの、残りのラボがまだ決まらず、ぼちぼち決めないとなあと思っている。最初の1週間はそんな課題たちに追われつつ、同級生と仲良くならねばと社交活動。皆大人なので、程々の付き合いでなんとか顔見知りは増えているけれど、アメリカ人と話すの久しぶりだし、人付き合い得意な方ではない自分としては、それなりに消耗した。日曜日に1人の時間をとってようやく落ち着いたけれど、やはり社交は得意では無いのかなと実感してしまった。無理せず皆と仲良くなっていければ良いな。

Yちゃん

叔母のYちゃん (おばさんではなくいつも名前+ちゃんで呼んでる)が亡くなったと連絡が来た。彼女は癌で闘病中で、先月あたりからそろそろ状況が芳しくないと知らされてはいたが、にしても突然のことのように感じる。子供の時から、私と弟は週末によく家に遊びに行っていて、叔父さんとYちゃんにおうちでゲームをさせてもらって、話し相手になってもらって、ご飯を一緒に食べたりした記憶がある。いつも若々しく、おばさんというよりお姉さんな印象。Yちゃんは母の姉で、私が子供の時は、サバサバしている母に比べて、明るくて可愛らしいお姉さんだなという印象が強かったが、大人になって話してみると、こちらも負けず劣らずサバサバとカッコいい性格だったんだなということが見えてきた。闘病中はよりその面が強く見られ、空元気でもなく、普段通りのトーンで、辛い治療や病状をあっけらかんと話して、先月連絡した時も普通のトーンで、お見舞いに来た人に泣かれても困るんだよ、なんて笑ってた。こんなに見事な去り方があるのだろうか。自分がその状況にあった時、同じような強さを持てるのだろうか。5月に帰省して会って話した時、私に何かあってもわざわざ来なくていいから、と言っていた。残された人はきっと彼女を惜しんで泣いている。でも、きっとYちゃんはそんなに悲しまなくても良いんだよ、って笑っている気がする。だからこれまでの思い出を、悲嘆に暮れながらではなく、温かい気持ちで振り返れるんだと思う。貴方の姪で光栄でした。ありがとう。

日本人パーティー

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以前アジアンスーパーで声をかけて以来お知り合いになっているHさん一家からホームパーティに誘われたので参加してみた。今回は、「新しく会社に入った方がすごく社交的で、仕事仲間、近所の知り合い、古くからこの辺りに住んでいる日本時の知り合いなど、総勢20人ぐらいを集めたパーティをやるからよかったらいかが?」と声をかけてもらった。緊張しながら参加すると、確かにすごい大人数でみちみちしてた。でも、何人かの方と繋がりを持てて、また一つ、交流の輪が広がった気がした。交友関係は狭く深くで良い、と思っていたけど、どこで何につながるか分からないので、無理のない範囲で参加するのは良いことだなと少し考えが変わりつつある。思いの外日本人がいたもんだな。ミネソタほどじゃないけれど、アメリカ人の配偶者を持つ日本人が何人か住んでいるみたい。ジャズが好きで、とか冬が苦手、など引っ越してきた理由が人間味があって面白かった。夏真っ盛りなので、料理も皆さんの洋服もカラフルで夏らしさを感じられた。

Fly Bayou

実は、去年の10月末からやってきた今の実験助手のポジションは7月末日で終了し、いよいよPhDリスタートに向けての準備期間に入った。とはいえ、ぼちぼちラボでの仕事もまだ継続していて、今日は、アメリカ南部に居を構えるハエラボ達のコミュニティ、Fly Bayouのシンポジウムに参加した。学会参加なんていつぶりだろう。あまり大きくない規模だけど、だからこそアットホームに議論が進められていったので過ごしやすかった。技術は同じハエの遺伝学を使い、でも研究分野はがん、神経、発生など様々、というスタイルだったので、慣れ親しい感じも新鮮味も兼ね備えているからか、そんなに飽きなかった。うちのラボからも口頭発表、ポスター発表で複数人が登壇していた。この学会は2年に1回なので、次回は私も発表することが出来るだろうか...